2008年9月10日水曜日

ブレークスルーテクノロジーコース

ランドマークエデュケーションのブレークスルーテクノロジーコースに参加したのは1991年。会社の大先輩と奥様の推薦。何の期待もなく自分はこんなものは経験済みくらいの気持ちで行って、ぶったまげた。こういう会話が百三十人もの様々な人々の集合の中で可能だとは! 後になって知ったが、ブレークスルーテクノロジーコースは海外ではランドマークフォーラムという呼ばれている。Forumというのは「集会」というような意味。ソクラテスが街角で行った問答大会がForumと呼ばれたらしい。様々な人が参加して「美とは何か」「善とは何か」などについて探求していく。終わった後、家路につくときには、来たときとは別人になってみんな帰っていったそうである。
ブレークスルーテクノロジーコースは「自分」というものに対するメタ認知の力をつける会話の集合だった。私にはメタ認知なんて世界は存在していなかったから、最初は質問の意味が分からず、対話が食い違っているように見えた。そしてメタ認知は一瞬にして起きた。コースの1日目の午後、自分がどんなふうに人の話を聞いているのかを、まるで光速で振り返って自分の顔を見ることができたかのように、生まれて初めてとらえることができた。知的理解ではない。私の「聞く」が発生している現場を押さえたのだ。驚愕かつ開放の体験であった。
まったく歯車が合っていないように見える対話の中で、人が「自分」というものがどう活動しているかを、「今・ここ」で掴み、掴んだそのことによってその束縛から自由になる。どうしようもない甘ったれの30代の管理職の人が、30分の対話の中で自分の行動に責任を持って逃げ隠れしない大人に変身するのを見た。その人の姿勢、視線、声までもが変わった。人間は一瞬にして変われるものであることは、自分の体験からも知っていたが、それを自分で起こすことのできる会話技術があるとは知らなかった。
自分を客観的に見る能力の重要さは誰でも知っている。ところが、概念的な理解だけしかないと単なる知的解釈ゲームとなり、何の変化も生み出さない。今自分の中で何が起きているかをリアルタイムにメタ認知してこそ、自由に次を生み出す選択が生じる。観察と正直さと勇気。ブレークスルーテクノロジーコースにはこれらが必要。

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